大阪市教委は、久保校長の「提言」を処分してはならない!

 大阪市教委は、久保校長の「提言」を処分してはならない!

大阪市立木川南小学校 久保敬校長に対する「文書訓告」に抗議し、撤回を求める要請並びに質問

2021年8月27日

大阪市教育委員会 教育長  山本 晋次 様

教職員なかまユニオン(090-1914-0158)

8月20日、大阪市教委は、木川南小学校久保敬校長に対して「文書訓告」を行いました。(裏面に訓告文書)

 私たちは、5月25日付で『大阪市立木川南小学校 久保敬校長の「大阪市教育行政への提言」を支持し、市長と教育委員会がこの「提言」をしっかり受け止めることを求める 要請書』を提出し、

①   今回の「オンライン(+プリント)中心の一律家庭学習」について、きちんとした総括を出すこと

②    久保校長に対して、懲戒処分はもとより服務上の措置も含めた一切の「処分」をしないこと

を求めました。

  6月25日付回答に対する7月20日の市民協議においては、4月末から5月の家庭学習は、「オンライン授業ではなく、1度は接続してみてくださいということが目標だった」ことを確認し、「7/16教育長通知を出したのだから、処分嫌疑の調査は打ち切るべきだ。市教委がすべきことは処分調査ではなく、久保提言の内容に対する考えを回答・公表することだ」と要請しました。そのような経過にもかかわらず、今回「文書訓告」が強行されたことに強く抗議し、その撤回を求めます

 理由説明のための「事案概要」は「市長及び教育長にあてた提言において、他校の状況等を斟酌することなく、独自の意見に基づき、本市の学校現場全体でお粗末な状況が露呈し、混乱を極め、子どもの安心・安全が保障されない状況を作り出していると断じ、子どもの安心・安全に関する教育委員会の対応に懸念を生じさせた。以上のような記述を含む提言を、知人らに提供したことなどにより拡散させた。」となっていますが、まったく的外れで不当です。「拡散させた」とありますが、広く拡散したのは、この提言内容に共感した多くの市民であり、「懸念を生じさせた」のではなく、久保校長は、すでに存在している懸念(=事実)を指摘したにすぎません。これだけ共感を呼んだ提言に含まれる真実に目を向けることなく、教育委員会の対応を反省しようとしない態度こそ改められなければなりません。

〇 「文書訓告」は、「喫緊の課題…教員の人材確保」(2021年6月29日総合教育会議での大森不二雄特別顧問の発言)解決に決定的なマイナス影響をもたらす誤った措置であることも指摘しておきます。学校教職員の意欲を減退させている原因として、すでに、久保校長提言で、テストの点数のみを教育目標にさせられている問題が指摘され、7月7日付の名田校長提言では、教職員が「黙っていうことを聞け」という状況に置かれていることの問題の指摘から「提言しやすいシステムの構築」が提唱されています。今、これらの提言に耳を傾け、大阪市人事・評価制度、給与制度等の全面的見直しが求められています。そのような時、これらの提言に一切耳をかさないと宣言するに等しい「文書訓告」発令は、教職員希望者の大阪市離れを決定的にするのではないでしょうか。文書訓告の行政措置を見直すよう強く要請します

文書訓告全文を読み、多くの疑問を持ちました。以下の質問に答えてください。 (略)

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久保校長に対する文書訓告全文

(訓告)

大阪市公立学校長 久保 敬

 あなたは、市長及び教育長にあてた「大阪市教育行政への提言」(以下「提言」という。)を令和 3年 5月 16日 (日)に作成、翌 17日 (月)に送付したが、教育委員会においては、本市における新型コロナウイルス感染者数の急増に伴い、医療体制が非常にひつ迫する中、本市の児童生徒の感染者数も飛躍的に増加し、変異株が子どもたちにどう影響するかわからない状況において、児童生徒の命と健康を守るため、新型インフルエンザ等特別措置法に基づく市町村対策本部長である市長から危機管理的な判断として提示された方白性を踏まえ、緊急事態宣言中の学校運営について決定 し、通知したところである。

 この通知に基づき、学校運営に当たる教職員 らが尽力する中、あなたは提言において、教育委員会の対応について、その決定過程や他校の状況等を掛酌することな`く 、独自の意見に基づき、本市の学校現場全体でお粗末な状況が露呈し、混乱を極め、子どもの安心・安全が保障されない状況を作り出していると断じ、子どもの安心・安全に関する教育委員会の対応に懸念を生じさせ、関係教職員らの努力を蔑ろにしたものである。

 また、提言には「学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化 している」との記述があり、これが比喩的な表現であることを考慮しても、児童生徒を「商品」に例えていることが不適切な表現であるとともに、日々業務に励む関係教職員らの努力を蔑ろにしたものである。

 以上のような記述を含む提言を、3人の知人に提供したことや、知人を介して連絡のあつた第二者に対して、公開範囲を確認することなくフェィスプックヘの掲載を許可したこと、まだ何に掲載されるか確認することなく漫然と掲載を許可し、その結果、市民団体のプログに掲載されたことにより拡散させた。

 あなたの行為は、職務上の義務に違反するとともに、本市学校園に勤務する教育公務員としての職の信用を傷つけるものであることから、全体の奉仕者たるにふさわしくない遺憾な点があったと言わざるを得ない。

 よって厳に訓告する。

 今回の行為について反省・自戒するとともに、今後は、このようなことを起こさないよう、十分意識して、一層職務に精励されたい。

令和3年8月20日

大阪市教育委員会 教育長 山本 晋次

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木川南小学校久保敬校長が出された提言全文

大阪市長 松井一郎 様

大阪市教育行政への提言 豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。

 持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚しく、わたしたちの教育への情熱を萎えさせるものか、想像していただきたい。

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日

大阪市立木川南小学校 校 長 久保 敬

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