知っていましたか?「君が代」の意味・扱いの変化

「君が代」調教NO!裁判 上告人松田幹雄さんから         ~最高裁公正判決署名お願いの対話のために~

歌詞⇒君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

歌詞の意味⇒(  ?  )末永く続きますように

「君が代」が何を意味するか?が問題。時代によって変わってきました。

◆初出の古今和歌集(平安時代)に載った古歌「君が代」 賀歌 読人知らず (写本2種

我が君は 千代にましませ さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

◆平安時代後期・鎌倉時代以降の「君が代」

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

古歌の元の意味は、「私の「君」(あなた)はいつまでもお元気でいてくださいね」

★「君が代」⇒祝福を受ける人の寿命 江戸時代までは、長寿を祝う歌、長寿を願う歌だった。

※Wikipedia

「この歌が利用された範囲は、歴史的にみれば、物語、御伽草子、謡曲、小唄、浄瑠璃から歌舞伎、浮世草子、狂歌など多岐にわたり、また箏曲、長唄、常磐津、さらには碓挽歌、舟歌、盆踊り唄、祭礼歌、琵琶歌から乞食の門付など、きわめて広範囲に及んでいる。「君が代は千代に八千代に」の歌が、安土桃山時代の隆達にあっては恋の小唄であることは広く知られるところである。」

大日本帝国憲法(1889年~)下の「君が代」(曲がつけられた「君が代」)

「君が代」⇒天皇陛下の御代 天皇治世の永遠を願う歌とされた。

※1942年国定修身教科書『この歌は、「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も萬年もつづいて、おさかえになりますやうに。」といふ意味(いみ)で、國民が、心からおいはひ申しあげる歌であります。』

※紀元節、天長節等3大節(昭和では4大節)の学校儀式に「御真影に最敬礼」「教育勅語奉読」と並んで位置づけられた。天皇のために命をささげる臣民をつくる教育の重要な柱だった。

日本国憲法(1947年~)下の「君が代」

「君が代」⇒我が国(日本) 我が国の末永い繁栄と平和を祈念する歌1999年国旗国歌法制定時の政府見解

※「君」は象徴である天皇 「代」を国と解釈 「象徴天皇の国」=わが国

なぜ、これらのことを教えてもらえなかったのか?それは、歴史(特に、戦前・戦中の教育の実態、「君が代」の役割など)を隠すことが国策だから。(学習指導要領には、「国旗」「国歌」については、その大切さ等を記載するが、「日の丸」「君が代」の歴史については一切の記述なし。文科省・教育委員会は、「日の丸」「君が代」の歴史についての指導資料を一切作成していない。)⇒これは子どもの権利条約違反です。「君が代」調教NO!裁判最高裁公正判決署名にご協力を!

※「日の丸」「君が代」の歴史について⇒「資料:卒業式・入学式の国旗・国歌について」で検索を

※1999年秋、未来を予想してつくった「寸劇『指導』っていじめ?」(すでに「君が代」強制の現実は予想をはるかに超えていますが…)⇒「君が代 寸劇 指導っていじめ」で検索を

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